ヨーロッパの教育課程に見る生き方の多様性

現在日本では生きる力をテーマとした教育課程が計画され、実施されています。しかし自殺率は一向に減ることはなく、日本特有の総中流家庭と言われる社会体系により、自らの生き方に絶望し、ひきこもりや自暴自棄にのすえ死を選ぶ不幸な出来事が相次いでいます。そしてそれは私たちの身近に迫った問題だということを忘れてはなりません。

日本の教育制度に見る勝ち組負け組

近年、日本では勝ち組、負け組と言われる分類を好んで行うような習慣が目立ってきています。要旨や属性、所属によってそれを勝ち、負けとし、自虐を狙ったり、他者を差別したりしているのです。ここで考えたいのが、日本の教育制度です。日本の教育制度は強力な単線型教育課程と言われており、大半の子どもは幼稚園から小学校へ行き、高等学校を経て大学を卒業します。中には大学院、修士、博士課程へと進むものもいますが、それらは直線的に並べられており、それ以外の学校は、これら巨大な直線の補助としての機能しか持ち合わせていません。

落ちこぼれが生まれる瞬間

日本の教育で問題となるのは、小学校から中学校に移るとき、もしくは中学校から高等学校に移る時に起こる学力ショックです。 これは小中学校では問題なく勉強をこなせていた子どもが、入学すると突如授業についていけなくなったり、精神的に不安定になることで落ちこぼれてしまう問題です。

これに対し中高一貫教育を取り入れる取り組みが活発になってきています。そして最近ホットな話題と言えば、小中一貫教育です。中学校と高校の一貫教育では、結局それまでの基礎が育たないまま落ちこぼれていってしまうと危惧されていた問題に対し、小学校と中学校という、義務教育の段階を一貫校にすることによって、子どもに対する情報を途切れさせることなく、教育を施すことができるというものです。 大抵の学習で落ちこぼれる子どもというのは、義務教育段階の知識が不十分なために、どこから勉強をはじめたらいいのかと言うことすらわからなくなってしまうために起こると言われています。この小中一貫教育によってこれらが解消されると期待されています。

米国、ヨーロッパの教育制度

米国やヨーロッパでは複線型教育制度や分岐線型教育制度が今でも行われています。これは上級な教育と庶民の教育という複線として批判されることもありますが、最近では教育格差というよりも、それぞれの生き方を尊重する教育手法として注目されています。何よりも注目しなければならないのは、そもそもの学校の種類が多いと言う部分です。学校制度も州ごとに異なっていたりして、日本のように「高校を4年かけて卒業した」という肩書でもう異常の目で見られるということはありえないのです。

ドイツを見てみると分岐型の教育課程であり、初等教育を終えると職業訓練か高等教育という進路選択が待っています。これは厳しい試験を伴うものはありますが、全日型の義務教育期間と合わせて18歳まで3年間、職業学校へ通う義務も存在します。このような選択幅によって、日本のように画一的な生き方とは違った、それぞれの持ち味を持った人間が生まれてくるのです。

異質であること

日本人は集団から外れることに大きな心理的負担を感じるといいます。しかしそれは民族的な特性というよりも、現在の教育制度の弊害である可能性も否めません。小中高と周りに同調して生きてきたかと思ったら、大学から突然自分を主張しなければならなくなります。そしてそれを求められるのと同時に、実践している友人をどこか避けようとしてしまうのです。

幼少のころから異なる道に歩もうとする友達を激励していく必要があるのではないでしょうか。そして自らが進む道をよりポジティブに説明できる言葉を得る必要もあるでしょう。こうした背景から日本の大学が、ただの通過点にしかなりえない状況が想像できます。何かを成し遂げる必要はなく、単線型として、大学の次にあるのは就職なのです。

しかし諸外国に見る教育制度では、大学と就職が繋がっているわけではなく、それぞれが目的に応じたしっかりとした終着点なのです。そしてその終着点から次のステップに進むため、日夜勉学に励むのです。このようなことから、日本における自尊感情の教育や自分の生き方を認める教育をより強く行う必然性が感じられます。画一的であり、少しでも外れてしまうことに対し、よりポジティブな視点を得られるよう、世界の動向に敏感になっていきたいものです。